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自然体であること

自然体。

例えば武道をとってみてもその基本となる型は自然体です。

呼吸にしても然り。

姿勢にしても然り。

何より「自然体」という言葉そのものに深い意味があるように思います。



自然であるとはどういうことでしょう。


花や風景はは見られることを意識しているわけではありません。

ただ見る者がそこに美しさや癒しを感じているのです。

美しさや癒しを私たちが「求める」からそう振る舞ってくれているわけではありません。

花や風景の中に美しさや癒しを見出す力がある人だけがそれを享受できるのでしょう。



同時に、己が自然体でありたいからといって、他者の自然体を抑えつける。

これほど愚かで幼稚なことはありません。

自然体とは“わがまま”とは違うのです。



誰かの「自然」を奪うような「自然」などあり得ないのです。



私たちはひとりで生きているのではありません。

共にありながら己もまた自然体であることができる。

自然体でありながら他者の自然体を輝かせることができる。

他者に依存することなく、それでも飄々と人生をそこにあることができる。

理想と言ってしまえば理想かもしれません。

でも、そこにこそ「優游 復 優游」があるのだと信じています。


先日とあるセッションで、

「ただ、筒になってください」と、とある生徒さんにお話ししました。

その方は阿吽の呼吸でその奥深さと必要性を理解してくださいました。



自然体を言葉で説明することは困難です。



私を自然体で迎えてくれる人たち。

私が自然体で迎えることができる人たち。

自然体ですべてを受け入れ、自然体ですべてを送り出せる。

まだまだ未熟な私には、それらはあまりに少なく貴重な宝物のような存在です。

そして目指すべき姿はいまだにはるかに遠いものかもしれません。


しかし常に自然体でいることができる。

そこには果てしない可能性があると思ってみたりするのです。

目指す価値のある目標のひとつだと今更ながら思っています。







柳は緑、花は紅。さまざまの世のならはしこそ定めなき










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