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春の日に

お水取りが終わると春が来る。

昔から奈良ではそう言われています。

そして、確定申告にでかけた興福寺のまわりには

近くの女子大生が袴姿でその卒業を祝っていました。

なるほど、強い風が吹くようになり日々温かさを感じる事が多くなりました。

古くからの言い伝え通り、四季の移ろいは今も淡々と繰り返されているようです。

盆地特有の寒さを経て、修二会が終わるこの季節は

奈良人にとって、お正月とは違う感慨深さがあるのではないでしょうか。


また、春が来ます。


春になり、穏やかな日差しに身を任せると思うことがあります。


生きている実感。

生かされている実感。


自分は、新しい春を迎えることができた。

新しい春を迎えるに値する生き方、成長ができたのだろうか?


その答えはまだわかりません。

でも、命の長さに意味があるのではない。

親から生を受けた命が『そこにある』。

ただそれ自体に意味があるんだ。


そんな事をぼんやり考えています。


長生きを願うのは当たり前のことかもしれません。

でも、不平と不満、恐れと羨望に満ちた毎日を
ただ淡々と何年何十年も繰り返す生き方もあります。

例え華と散った人生だとしても、
比べようのないほど価値のある生もあるのです。

人の生は長さではありません。

卒業の春。

今年、私は何を卒業できたのでしょう。

生かされているという事は、まだ卒業できないという事。

無駄に生きている時間はありません。



そして今、また無事に春を迎えることのできる私たち。

次の春。

もしまた迎えることができたなら、

少しでも進んでいる自分でありたいものです。


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